小骨の痛み
- 山口 祐臣
- 2016年11月14日
- 読了時間: 2分
子供の頃は魚を食べるのが苦手でした。 小骨が喉に刺さり、何度も泣きながら両親や祖父に 診てもらったものです。 先日、ある食品会社の方とお話をしていました。 その中で、こんな話を耳にしました。 ブロッコリーに青虫がついていたからと返品する栄 養士。種無しの果物のみ発注し、プラムやさくらん ぼを種があり誤飲の可能性があるからとメニューに 加えない給食。魚の骨が引っかかるとクレームを入 れる親がいるため、骨を取り除いた魚のみ使いサバ やアジなど小骨の多い青魚など論外。 これはいずれも実際にあった話です。 自然界に骨の無い魚や種の無い果物は存在しません。 食物がどのような形で育ち、収穫され調理をされて目 の前の料理になっているかという過程も教育の一環の はずですが、全く考慮されていません。 少々話がずれますが、今朝のテレビで報道されていま したが、あるマンションの管理組合で挨拶を禁止にし たそうです。その驚くべき結論に至った経緯は「子供 に知らない人から話しかけられても無視しなさいと教 えているのに、マンションの方々に挨拶されるのは困 る」と複数の親から話があり、年配の方々からは「無 視されて不愉快だったからいっそ禁止にしても構わな い」という乱暴な議論の果てに決まったものでした。 話をして経験を積まない限り、コミュニケーションの 力が磨かれることはありません。 偏屈な方、怖い方、優しい方。色々な方と会うことで 初めて、危険な人と安全な人を見分けることが出来る ようになるはずです。 魚が嫌いな子供だった僕は、いつしか箸の使い方を 覚え、小骨を取り美味しく魚をいただくことが出来る 魚好きになりました。 大人になってからも両親がつきっきりで小骨を取って あげる事は出来ません。 小骨の痛みから学んで成長していくこと、それも教育 であるはずです。 危ないもの、危険なものから遠ざけるだけでは真の成 長からは遠ざかります。 人間も自然の中で、食物を得て危険を避けながら力強 く生きてきた生き物。 逞しく生きる力を身に付けたいものです。


























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